さて、今回のまずはのお題、
ハッタリピアノでプロに勝てるか!?
しかし、その話をする為には、
「プロとは何か?」
という話をしなければならない。
しかし、まず、その話の前に、自分的な結論からいうと、
ハッタリでプロに勝つことは、、、、、
できません!(笑)
でも勝てます!(笑)
やはり、勝てないでしょう。
そんなので勝てたらプロなんてわざわざ要らないでしょう(笑)
なのに勝てる??
世の中フシギな事が多いのです(笑)
ピアノについての場合、
プロとアマには天と地の差があります。
指・脳・身体・精神が、まず全然、全てが別次元であるほどに違うことでしょう。
それに費やしてきた時間も、おそらく、
全く違うことでしょう。
そのようなプロにハッタリで勝ててしまえば、
プロのみなさん、グレます(笑)。
しかし、それでも勝てるというのはどういうことか?
ピアノをやっている人でこのような経験はありませんか?
ショパンのエチュードを人前で弾いたら、
みんなが驚いた。
その後で、ちょっと遊びでラジオ体操第一を冗談で弾いたら、
何故かやたらウケてみんな大喜びした。
とか、
こういう経験、ありませんか?(笑)
ショパンエチュードを弾けるようになるのに、
一体どれほどの労力を注ぎ込んだことか、
それが、ふと思い立ったテキトーなネタで、
むしろそっちの方が聴衆が盛り上がった(笑)。
そんなバカな!(笑)
いや、本当にバカなのかもしれません、世の中は(笑)。
大真面目な人間にとっては、
バカバカしいような感覚にも似た現実が世の中にはたくさんあります(笑)。
人を喜ばせる、盛り上げる、という面で、ハッタリがプロに勝つ事があります。
しかしそれは場面にもよりますし、本質から離れ過ぎるのは少し悲しいでしょう。
クラシックのマニアックなファンであれば、ハッタリよりも一流の演奏が聴きたいでしょうし、ハッタリ演奏などでは背筋に何も走らないことでしょう。
音楽のことはあまりよく解らない、というような一般大衆であれば、
楽しけりゃそれでいい、「楽しい」の価値観が音楽の本質の中にない、という場合もあり、
むしろ、一流の演奏ですら一般大衆にとっては眠たいという現実があるかも知れない(笑)、
世の中には、音楽の事をすごく深く解っているというような人よりも、
音楽が「(普通に)好き♪」
という程度の人が大半なわけですから、そうなると、プロよりハッタリが勝てるチャンスがある「場所」の方が意外と多いのかも知れませんね(笑)。
しかし、そこで恐いのが、
「一般大衆の価値観の喪失」である。
本質が低下しながら文化が進む事で、価値観という概念そのものがなくなります。
どういうことかといえば、
音楽文化が、音楽文化じゃない文化になるということである。
本質的価値で価値が動くのでなく、
世の中全体の価値観で、価値が決まり、架空の価値観が発生し、そこに音楽の姿はない、という結末になる。
本質は棚の上に置き去りにされたまま、文化が薄れて、低下したナニをそれを進化だなどと勘違いする事態に陥るのである。
「世の中全体の架空の価値観」
を決めているのは、大衆であり、操作しているのは提供者である。
提供者側が無責任な提供をすれば、
世の中全体の価値観は本質から外れてゆき、怪しいものとなってくる。
そのような状態で、「本質的価値」を提供者が提供しようとしたところで、もう遅いのだ。
いわば、ハッタリがプロに勝ててしまうというのは、本当はよろしくないともいえる。
それはそれ、これはこれ、プロにはプロの、アマにはアマのよさがあるが、
大衆は大きく注目するべき一点のみに集中する傾向にあるため、それによって、
世の中から、「価値観」が喪失し、「プロとは何か」の定義がますますカオスとなるわけである。
「個々の価値観の違い」
という次元の話をするよりも以前に、そもそも個々に「本当には価値観がない」となれば世も末であるが、
近年ではその傾向が著しいといえる。
また、それにすら気付いていないというところに危機感がないといえば嘘である。
ハッタリがプロに一度勝つと、プロがハッタリの下で永遠に埋もれてもおかしくないような仕組みができあがる。
そこは非常に注意すべき点であろう。
当サイト管理人はバンドでツーバスドラマーとしてもライブをやったりしたことがありますが、
バンドの世界では、この「価値観」というものがよりハッキリと現れます。
芸術の価値は、対象・環境の問題によって大きく変動します。
クラシックとバンドの世界がなかなか繋がりそうで繋がらないのはここらへんにもあるのかも知れません。
どちらがよくてどちらが悪い、とか、
何がよくて何が悪い、とか、
音楽はそういうものではありませんが、
音楽における「プロ」の定義はそれが故に非常に難しいものです。
ハッタリであろうとも、もし、それで人を喜ばせることができる(相手の精神を満たす→サービス業のようなもの)、となれば、それによって金銭利益などが発生すればそれは
「プロ」でしょうし、
アーティストによっては、
「自称プロ!私はプロ!」
っとプロ意識をもって思い込んでいれば(??笑)、それはそれで、それもプロといえるかも知れません。
スポーツの世界では、100メートルを20秒で走るような短距離走のプロは絶対にいませんが(笑)、
音楽は、ツェルニーの練習曲もロクにやらずにピアノのプロにもなれたりするでしょう(クラシック路線ではない方面でキーボードやピアノプレイヤーとして所属するバンドに人気がある場合)。
音楽は価値観が多様で、プロとは何か、が、あいまいな業界であるが故に、
混沌とした世界である事は確かです。
本質的な部分を損なうことなく、
玄人にも素人にも通用するような
「立体的な楽しさ」
を提供できるのが、
「本当のプロ」
だと、
サイト管理人自身は思っていますし、それが本人が目指している理想の芸術です。
しかし、芸術には、
高い理想を持てばもつほどに、
高い壁が立ちはだかります。
それが、「芸術とビジネス」の関係です。
次回のコラムではそこらへんの事に触れてみようと思う。
→芸術とビジネス/芸術と社会
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